ロシア帝国で革命がおこったきっかけ
ロシア帝国で革命がおこったきっかけは、大きく分けて以下の3つです。
第一次世界大戦の長期化による国民生活の困窮
第一次世界大戦は、1914年に勃発し、ロシアも参戦しました
しかし、戦争は長期化し、ロシア軍は劣勢に陥りました。その結果、国民生活は困窮し、物価高騰や食糧不足が深刻化しました
帝政政府の腐敗と無能
ロシア帝政政府は、専制的な政治体制を敷いており、国民の生活や意見を無視していました
また、戦争の長期化に伴って、政府の腐敗や無能が露呈し、国民の不満が高まりました
社会主義思想の浸透
19世紀後半から、ロシアでは社会主義思想が浸透し始めました
社会主義は、労働者階級が権力を握り、平等な社会を実現することを目的とした思想です
ロシアでは、労働者階級が社会主義思想に共感し、革命を起こすための準備を進めていました
これらの3つの要因が重なり、1917年にロシア革命が勃発しました
1917年 ロシア革命勃発
この状況下で、皇帝の専制政治に反発した労働者がストライキと反乱を起こし、1917年に革命が勃発しました
第一革命(三月革命)
1917年2月、首都ペトログラードで食糧不足を原因とするストライキが発生しました
ストライキは、軍隊や市民にも広がり、大規模なデモに発展しました
政府はデモを鎮圧しようとしましたが、失敗に終わりました
2月27日、皇帝ニコライ2世は退位を宣言し、ロシア帝政は崩壊しました
その後、臨時政府が成立しましたが、臨時政府は社会主義者の要求に応えられず、国民の不満は高まりました
第二革命(十月革命)
1917年10月、ボリシェヴィキ党の指導者レーニンは、武装蜂起を起こし、臨時政府を打倒しました
これにより、ロシア革命は成功し、ソビエト連邦が誕生しました
日本の対応
日本はロシア革命の成功を受けて、「シベリア出兵」という対応を選択しました
シベリア出兵の目的は、大きく分けて以下の3つです
チェコスロバキア軍の救出
1917年にロシア革命が起こると、シベリアにいたチェコスロバキア軍は、ロシア国内の混乱を避けるために、シベリア鉄道を経由してロシアを脱出しようとしました
しかし、ロシア革命によって混乱したシベリア鉄道は、チェコスロバキア軍の脱出を妨げていました
そこで、日本やアメリカ、イギリス、フランスは、チェコスロバキア軍の脱出を支援するために、シベリアに軍隊を派遣しました
ソビエト政権の打倒
日本は、ロシア革命によって誕生したソビエト政権を、対日脅威と捉えていました
そこで、ソビエト政権を打倒するために、シベリア出兵を決断しました
シベリアの資源の確保
シベリアには、石油や木材などの豊富な資源がありました
日本は、シベリアの資源を獲得するために、シベリア出兵を決断しました
出兵の経過
日本は、1918年8月にシベリア出兵を宣言し、シベリアに軍隊を派遣しました
日本軍は、シベリア鉄道沿線の制圧を進め、チェコスロバキア軍の脱出を支援しました
しかし、ソビエト軍の抵抗は激しく、日本軍はなかなかシベリア全土を制圧することができませんでした
また、日本国内では、シベリア出兵に反対する声も高まっていました
1920年になると、日本はシベリア出兵の目的をチェコスロバキア軍の救出に限定し、ソビエト政権の打倒やシベリアの資源の確保は、断念しました
1922年にチェコスロバキア軍がシベリアから撤退すると、日本軍もシベリアから撤退を開始しました
そして、1925年に日本軍はシベリアから完全に撤退しました
授業活動「日本はシベリア出兵すべきだった?」
この授業では、生徒たちに日本がシベリア出兵すべきだったのか否かについて考えさせる活動を行います
授業では、次のプリントを利用して討論しました
まとめるとこうなります
すべきだった理由
- 社会主義の脅威を食い止めるための一環として出兵が必要だった
- 国家の安全保障を確保するためには積極的な外交政策が必要だった
すべきでなかった理由
- 出兵が失敗に終わり、国内の不満を招く結果になった
- 資本家の視点だけでなく、広い視野から社会情勢を考慮すべきだった
生徒の討論
生徒たちにはそれぞれ異なる視点から議論を行わせ、歴史的な出来事に対する自分なりの見解を持たせました
授業では教科書の資料や映像番組を交えながら、より深い理解を促しています
まとめ
授業の最後に、生徒たちが出した意見や考えをまとめます
この活動を通して、当時の状況や政策が日本に与えた影響について理解を深めます
歴史的な出来事が国家の判断や政策にどのような影響を与えたかを考察し、歴史を学びながら社会や政治の複雑な関係性を理解する力を養いました
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