日露戦争は、日本にとっても大きな犠牲を払った戦争でもありました
戦死者・戦傷者数は約13万人にのぼり、日本経済も大きな打撃を受けました
では、日本は日露戦争を開戦すべきだったのだろうか。それとも、開戦を回避すべきだったのでしょうか
この問いについて考えるために、中学校2年生の社会科の授業で、以下の活動を行いました
- 日露戦争の背景や両国の状況について学ぶ
- 開戦論と反戦論の主張について学ぶ
- 自分の意見を形成し、発表する
日露戦争の概要~遼東半島、朝鮮半島をめぐる対立~
日露戦争は、1904年(明治37年)から1905年(明治38年)にかけて、日本とロシアが朝鮮半島と満州(現中国東北部)の支配をめぐって戦った戦争です
日清戦争後の朝鮮半島は、日本とロシアの勢力争いの場となりました
日本は朝鮮半島の独立を認め、その内政を指導しようとしたが、ロシアは朝鮮半島を保護国化しようとしました
1895年(明治28年)9月、日清講和条約が締結され、日本は清国から台湾と遼東半島を獲得しました
しかし、ロシアは遼東半島の割譲を認めず、ドイツとフランスを誘って、日本に対して遼東半島の割譲を要求しました
日本はロシアの要求を拒否しましたが、ロシアは軍事力を背景に、日本に遼東半島の割譲を受け入れさせます
日本は三国干渉により、遼東半島を失い、ロシアの朝鮮半島進出を阻止することができませんでした
三国干渉は、日本にとって大きな屈辱であり、ロシアへの敵対心を強めました
また、日英同盟の締結など、日本がロシアに対抗するための体制を整えるきっかけとなりました
三国干渉
ロシアの朝鮮半島進出
ロシアは、朝鮮半島を南下する通商路を確保するために、朝鮮半島の勢力拡大を図っていました
日清戦争後の朝鮮半島は、日本とロシアの勢力争いの場となり、ロシアは軍事力を増強して、朝鮮半島に進出しました
三国干渉の日本への影響
三国干渉は、以下の2つの点で、日本に大きな影響を与えました
日英同盟の締結
三国干渉により、日本は孤立を深め、ロシアに対抗するための体制を整える必要がありました
そのため、日本はイギリスと日英同盟を締結し、ロシアに対抗するための同盟国を得たのです
日清戦争後、日本は富国強兵を進めてきた
日清戦争後、日本は富国強兵を進め、軍事力と経済力を強化しました
その一環として、工女制度が導入された 工女とは、軍需工場の労働者として働く女性のことです
工女たちは、劣悪な労働環境の中で、軍需品の生産に従事しました
工女たちの頑張りを含む産業の発展により、日本は日露戦争への準備が整ってきました
日露戦争開戦前夜
日露戦争開戦前夜、日本国内では開戦論と反戦論に分かれて激しく議論が交わされました
開戦論の主張
開戦論者は、ロシアの朝鮮半島進出を阻止し、日本の安全を守るためには、ロシアと戦うしかないと主張しました
また、ロシアと戦えば、日本は世界に名を馳せることができると主張しました
反戦論の主張
反戦論者は、ロシアと戦えば、日本は大きな犠牲を払うことになるだろうと主張しました
また、ロシアと戦争になった場合、日本は孤立してしまうだろうと主張しました
日露戦争の勃発
1904年、日本はロシアとの戦争を決意し、日露戦争が勃発しました
三国干渉が、日露戦争の直接的な原因となり、日本とロシアの宿命的な対立を深めたのです
授業活動「日本とロシアは戦うべきなのか?」
授業活動「日本とロシアは戦うべきなのか?」では、以下の手順で進めました
ちなみにこちらが授業プリントです
自分の意見を作る
まず、自分の意見をしっかりと考えます
意見を決める際には、日露戦争の背景や両国の状況、開戦論と反戦論の主張などを参考にさせます
隣の人と意見交換
自分の意見を隣の人と交換し、意見を深めます
意見交換をする際には、相手の意見を尊重し、丁寧に話し合うように指導しました
自分の意見をまとめる
交換した意見を参考にして、自分の意見をまとめます
まとめる際には、理由や根拠をしっかりと述べるよう生徒に伝えました
この授業活動を通して、日露戦争の背景や両国の状況、開戦論と反戦論の主張を理解し、戦争について自分の意見を形成することができました
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