【中2歴史】吉野ケ里遺跡の支配者は尊敬されていた?怖がられていた?弥生時代の支配者のあり方を予想する授業

中2歴史

弥生時代の日本

弥生時代は、紀元前10世紀から紀元後3世紀中頃までの約1300年間、日本列島に存在した時代です

縄文時代の狩猟採集生活から、稲作を中心とした生産経済へと移行した時代です

弥生時代の特徴は、次のとおりです

稲作の普及

弥生時代の最大の特徴は、稲作の普及です。稲作は、紀元前4世紀頃に朝鮮半島から九州北部に伝わり、その後、東日本へと広まっていきました

稲作の普及により、人々は安定した食料を確保できるようになり、人口が増加しました

鉄器の使用

弥生時代には、鉄器が使用されるようになりました

鉄器は、農具や武器、道具などに使われ、人々の生活を大きく変えました

農具の改良により、稲作の効率化が進み、生産性が向上しました

また、鉄製の武器は、狩猟や戦闘に威力を発揮しました

集落の形成

弥生時代には、集落の規模が大きくなり、人口も増加しました

これは、稲作によって安定した食料を確保できるようになったことが原因と考えられます

集落では、共同で稲作や狩猟を行うようになりました

地域間の交流

弥生時代には、地域間の交流が活発化しました

これは、鉄器や稲作などの技術や文化が、地域間で伝播したことが原因と考えられます

また、交易も盛んになり、地域間の経済交流も活発化しました

集落からわかる弥生時代の生活

吉野ケ里遺跡の概要

吉野ケ里遺跡は、奈良県吉野町に位置する弥生時代の遺跡で、約2000年前のものとされています

佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にある、弥生時代の大規模な環濠集落跡です。

1986年の発掘調査によって発見され、1991年に国の特別史跡に指定されました

吉野ケ里遺跡には、弥生時代前期から後期にかけての遺構が残っています

特に、弥生時代後期(紀元前1世紀~紀元後3世紀)の遺構は、日本最大級の規模を誇り、弥生時代の集落のあり方を示す重要な遺跡として注目されています

吉野ケ里遺跡からは、竪穴住居や甕棺墓などの遺構のほか、鉄器や土器などの遺物も多数出土しています

これらの遺物は、弥生時代の人々の生活や文化を知る上で貴重な資料となっています

吉野ケ里遺跡に残る指導者の墓

吉野ケ里遺跡では、弥生時代中期(紀元前1世紀~紀元後1世紀)の「王の墓」とされる甕棺墓が2基発見されています

1基目は、1986年の発掘調査によって発見された「北墳丘墓」です

北墳丘墓は、全長22メートル、幅12メートルの大型の甕棺墓で、その規模は吉野ケ里遺跡で発見された甕棺墓の中で最大です

また、墓室には、鉄剣や鉄斧などの貴重な鉄器や、勾玉などの装身具が副葬されていました

2基目は、1991年の発掘調査によって発見された「南墳丘墓」です。南墳丘墓は、全長16メートル、幅9メートルの甕棺墓で、北墳丘墓に次ぐ規模を誇ります

また、墓室には、鉄剣や鉄斧などの鉄器や、勾玉などの装身具に加え、大陸から伝来したガラス玉や金環などの貴重な遺物も副葬されていました

これらの墓は、いずれも単独で丘陵の頂部に位置しており、周囲には多くの副葬品が置かれていたことから、集落を統治する指導者の墓と考えられています

特に、南墳丘墓からは、大陸から伝来したガラス玉や金環などの貴重な遺物が副葬されていたことから、

当時の吉野ケ里集落が、大陸との交易を通じて高度な文化水準を有していたことがうかがわれます

授業活動「吉野ケ里遺跡の支配者は尊敬されていた?怖がられていた?」

ここから具体的な授業の内容を紹介します

授業の導入:吉野ケ里遺跡の指導者の墓

授業冒頭では、吉野ケ里遺跡の指導者の墓の模型や写真を見せながら、その規模や副葬品について前述したような内容を紹介します(吉野ヶ里遺跡にて撮影)

  • この墓は、弥生時代中期のもので、吉野ケ里遺跡で発見された中で最大規模の墓である
  • 墓室には、鉄剣や鉄斧などの貴重な鉄器や、勾玉などの装身具が副葬されている

と紹介して、生徒に、これらの墓の規模や副葬品について考えさせます

発問①「墓の規模や副葬品から、支配者はどのような人物だったと考えられますか?」

続いて、「この墓の規模や副葬品から、支配者はどのような人物だったと考えられますか?」と問いかけます

生徒からは、以下の回答がでてきました

  • 支配者は、非常に権力を持っていた
  • 支配者は、豊かな生活を送っていた
  • 支配者は、大陸との交易に関わっていた

次に、生徒に、支配者の地位や権力について考えさせました

発問②「支配者は、集落のリーダーとしてどのような役割を果たしていたと考えられますか?」

次に「支配者は、集落のリーダーとしてどのような役割を果たしていたと考えられますか?

と問いかけます

生徒に少し考える時間を与えた後、次のような回答がでてきました

  • 支配者は、集落の戦争や守りを主導していた
  • 支配者は、集落の祭祀や儀式を主催していた
  • 支配者は、集落の経済を管理していた

発問③「支配者は集落の人たちからどう見られていたのか?」

生徒に、支配者が尊敬されていたのか、怖がられていたかという問題について考えさせます

支配者は、集落の人々から尊敬されていたのか、怖がられていたのでしょうか?

この問題は、答えが一つではないため、生徒の自由な考えを引き出すことが重要です

生徒からは、主に次意見がでてきます

①支配者は尊敬されていた

支配者は、集落の人々から尊敬されていたと考える立場です

支配者は、集落のリーダーとして、人々の生活を守り、豊かにすることに貢献していました

このことから、人々は支配者を慕い、尊敬していたと考えます

②支配者は、集落の人々から怖がられていた

支配者は、強大な権力を有しており、人々を支配していたかもしれません

そのため、人々は支配者を恐れ、従っていたとする立場です

生徒の考えを発表させる

個人で考えたら、隣の生徒と話し合いをして考えます

数名の生徒を指名して、考えを発表してもらい、生徒の考えを広げていきます

自分の考えをまとめる

ここまでの経緯をふまえ、自分の考えを次のプリントに書いてもらい、授業終了です

この授業の意義

この授業の意義は、以下の2つが挙げられます

吉野ケ里遺跡の支配者の地位や権力について理解できる

この授業では、吉野ケ里遺跡の指導者の墓の規模や副葬品から、支配者の地位や権力について考察します

これにより、生徒は、弥生時代の社会構造や支配者の役割について理解を深めることができます

支配者が尊敬されていたのか、怖がられていたかという問題について考察できる

この授業では、生徒に、支配者が集落の人々から尊敬されていたのか、怖がられていたかという問題について考えさせます

この問題は、答えが一つではないため、生徒の自由な考えを引き出すことが可能です

これにより、生徒は、歴史的事象を多角的に捉える力を養うことができました

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